この記事の執筆は、2018年7月頃と、かなり古い。
HDDを整理してたら未公開記事が出てきたので、今さらのようにアップする。
強烈に「カメラが好き」「写真が好き」と言っている人たちの撮る写真には、不思議な魅力がある。私は、それがどこから来ているのか、今まで分からなかった。
私もカメラはかなり好きな方なんだけど、そういう人たちの撮る写真には、とても敵わない。
だが、最近になってその理由が何となく分かって来た。
そして私の考えが正しければ、私は写真を魅力的に撮る才能を (少なくとも現時点では) 持ち合わせていないのだ、ということも分かって来た、、、というお話。
気が付いたキッカケ
かなり古い (2018年7月4日発売号の) お話なのだけど、畑健二郎先生の連載漫画「トニカクカワイイ」を読んで、私はちょっとしたショックを受けてしまった。
問題のコマ
「カメラって・・・なんか興奮する!」「ヤバい・・・これ止まんない!」

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転載元: 週刊少年サンデー 2018年7月4日発売号
畑健二郎「トニカクカワイイ」/小学館
私には、この感覚がない。
「才能」というものは、恐らくこのような「原体験」が土台となっている。
この土台の上に、いろいろなものが形成されていくのだ。
畑健二郎先生のカメラネタやオタクネタは、その界隈の最大公約数的な所を突く「あるあるネタ」と「そんなヤツおるおるネタ」だと思っているので、恐らくこのネタも、多くのカメラ好きが共感できるものなのだろう。
そして今まで、先生のカメラネタは「私のツボ」から大きくズレることがなかっただけに、こんな原始的な部分で共感できなかった事は、私にとって大いにショックだった。
そうか、カメラにハマっている人や、写真が上手い人の多くは、原体験としてこういう感覚を持っているので、意識しなくても情熱を注げるのだ。
こんな喜びを知っている人に太刀打ちするのは、とても難しい。
私も写真が上手くなるには、原体験として何かしらの単純な喜びを見つけ、無意識のうちにカメラを触っているような人にならなければいけないのだろう。しかし、後天的にこれを行うのは、かなり難しい。
この更新でいちばん書きたかったことは以上。
以下はオマケで書きたいもの。
「原体験」という土台の話
そういえば・・・・と、上記を自分のケースに当てはめると、得意なモノ、自分には才能があると思っているモノには皆、「ヤバい・・・これ止まんない!」と同じような原体験存在していた。
一方、「好きなんだけど上達しない」というモノには、それが無かった。
得意分野
- PC関連
私は初めてパソコンを触った時、キーボード一つ打ってモニタに一つ文字が現れるだけでも感動した。カーソルキー押すとカーソル移動する、それだけでも感動した。 - CG・DTP関連
初めてCGでお絵かきした時は、一本のまっすぐな線を引いただけで感動したし、3DCGを始めた時はボックス1個、球体1個レンダリングしただけでも感動した。
子供のころもお絵かきも、真っ白な紙に鉛筆やクレヨンで線1本引くだけでも嬉しかった。 - Web制作
インターネットにつながっただけで感動。
海外のWebページが読めるだけで感動。
サーバーに接続しファイルをアップロードするだけでも感動。
それがブラウザで表示されるだけでも感動 (もはやWeb制作関係ない)
なんちゅうか、一言でいうと「当たり前のこと」にも、それこそ今でも感動や感謝の気持ちが一杯である。
苦手分野
- カメラ
はじめて自分のカメラを持ち、はじめてシャッターを押した時から「写真は写って当たり前」と思い、あまつさえ「何百枚~何千枚と撮っていれば、そのうちプロのような写真が撮れる」とも思っていた。 - DTM
はじめて DTM を触った時、すでに「プロが作ったような音楽」が目標になっており、「音が出るだけで嬉しい」のような感覚はなかった。
そう、苦手分野となったものは、原体験がないのだ。
最初から高すぎる目標や思い込みがあったためか、当たり前のことに感動する余裕がなかったのだ。なので、目標があっても「必要に迫られた時」以外は、それに触れることが無かったのだ。
かたや得意分野となった方は、原体験としての「感動した」のレベルがもの凄く低く、ほんの少しでもレベルアップできれば、もうそれだけで凄く嬉しかった。
特にパソコンなんて、「打った文字が画面に表示される!スゲエ」という感動は、2~3年もの間続いていた。そして「インターネットにつながっただけでも感動」は、たぶん今でも続いている。
ただそれに触れているだけでも嬉しいので、PCが不調とか、ネットが不調とか、いい絵が描けないとか、その先に「原体験の再体験」が待っているので、あまり苦にならないのである。結果、気が付くとかなりのレベルまで上達している。
私の場合、多分 これに勝る理由はない。
上手くなったものはみな、とにかく暇さえあれば、それに触れていたくなるような喜びを持っているものだったのだ。
これで書きたい事は、だいたい書いた。
このページの内容は以上。